2013年1月30日水曜日

ウヴェ・シーファー訪問記 第2章 アイゼンベアク“グランクリュ”巡り

アイゼンベアクの山を眺めながらウヴェは言います。
「山の藪の部分も、昔は全部ブドウ畑だったのさ。ハンガリー語でプスタって呼ぶんだけど、そこにもブドウを植えたいんだよ。ブドウを植えるにはまず木を抜いて、フムス(腐葉土)を入れて、支柱を埋めて、ワイヤーを張らなくちゃならないだろ。そこまでの作業をするには土地を買うしかないんだ。…でも僕の問題は、そんな資金がないことさ。ワインは順調に売れているよ。でも去年(2010年ヴィンテージ)は売るワインがなくって、本当に困った。僕はワインが買われることを前提に投資しているから、売る予定のワインが天候不良などでできないと、大きな問題なんだ。
そうだったのか…。
畑を買うと、まずこの支柱とワイヤーを替えねばなりません。
勿論、天候不良でワインが予定量できないことは、どんなワイナリーにとっても大問題。けれど彼のように、本当にゼロからスタートし、ワインの価値を認めてもらい、その代償を再投入することでしか自分の理想に近づけない=あのような素晴らしいワインの生産量をカルトから市民権を得るヴォリュームまで増やすことができない、という宿命を背負っている場合、天候によるダメージは、代々の土地とワイナリーを維持するだけで事足りるワイナリーとは、別次元の深刻さをもたらすことは、想像に難くありません。
風邪のウィルスが神経を冒す、という奇病も、ひょっとして彼のそんな切羽詰まった精神状況と無関係ではなかったかも…。プリンセスはそんなことを思っていました。
ライーブルクの1950年代に植えられた古木
ところでウヴェは、レストランを営む家系の出。ワイナリーを造る前の最後のキャリアは、オーストリアを代表するレストラン“シュタイアレック”の花形ソムリエだったのです。

看板畑Reihburg ライーブルクの古木を掠めながら、ウヴェにどうしてトップ・ソムリエの職を投げ打ってワインを造ることになったのか何故アイゼンベアクでなければならなかったのかどうして白ではなくてブラウフレンキッシュだったのか、…そんなことを色々尋ねてみました。

Princess: どうしてワインを造ろうと思ったの?
Uwe: よくある「ワイン・ウィスルに感染した」ってやつだね。シュタイアレック時代にオーストリアワイン担当だった関係で、最初は興味のあるワイナリーを休みの日に訪ね歩いていたんだ。そのうち休みの日だけでは足りなくなって、店を終えてほとんど朝方近くにここ(実家)にやってきて、2-3時間仮眠を取って、早朝にブドウ農家に行って「何か手伝うことはないか」って、聞いて歩くようになってたよ:)
※元ソムリエである彼は当然栽培醸造の専門教育は一切受けておらず、彼曰はく「老農夫を助けて、老農夫からすべてを教わった」そうです。

P: どうしてアイゼンベアクだったの? 故郷の町に近かったから?
U: いや。オーストリア全土のワインを試してたんだけど、この周辺のワインが…造ってる人は「垢抜けない、田舎のワインだから」って出して来るんだけど、一番良かったんだ。それで畑を見れば、土壌は見事なグリーン・スレート主体に石英の混ざるミネラル豊かで水捌けのいい理想的なもの。向きは南東、南、南西の見事な斜面。高度も日照も理想的。それで「ここしかない!」って思ったよ。
P: だけどワインを造ろうと決心をした90年代の前半に、あなたをインスパイアするようなオーストリアの赤ワインなんてあったの? マリーエンタール?
U:  けっ、マリーエンタールなんかどうでもいいよ。確かに76年は素晴らしかったかも知れないけど、その後のマリーエンタールはオークが強くて抽出も強い、重たい…それこそ野暮なワインの見本みたいになってただろ。オーベラー・ヴァルトの方がずっとましだよ。…そうだなぁ、この辺りの…クルツラーやミッテルブルゲンラントのフランツ・ヴェーニンガーなんかの大樽のワインは良かったよ。まあでも確かに、いいと思うものは5つもなかったね。だからこそ、ここでなら、今はまだない素晴らしいワインが造れる、って確信したのさ。

車がアイゼンベアクの最も標高の高い白ブドウの畑を通過する際、アイゼンベアク近辺は従来ずっと赤優勢の土地柄だったのか、尋ねてみます。…案の状、70年代には白が6割だったそう。しかも、ゲミシュター・サッツにもしない、GVでアルコールを、ヴェルシュ・リースリングで酸を稼ぐ、という「飲めりゃいいだろう」的収量過多の安ブレンドワイン。それは赤とて同じことで、酸をブラウフレンキッシュで、収量と色をブラウアー・ポルチュギーザーで稼ぐような駄ワインがほとんどだった、とか。

そんな話をするうちに車は東向きの斜面Hummergrabenフンマーグラーベンに差し掛かり、斜面を伝いつつ、ハンガリーに入ります。斜面の中腹部分が最もポテンシャルの高い区画だそうですが、丁度その辺りでオーストリアとハンガリーが分断されたカタチ(上がオーストリア、下がハンガリー)。4年前の拙著取材の際は、ウヴェはこのハンガリー側のブドウ畑のコンディションの悪さを嘆くとともに、今後の可能性の大きさを語っていましたが、この4年間に随分政治的環境が変わってしまったらしく「ハンガリー人は超国粋主義者が多く、オーストリア人が自国の土地を買うのを好まないし、現ハンガリー政権がそれを助長している」のだとか。第一、畑の価格も今やオーストリアサイドと全く変わりはなくなっており、これ以上ハンガリーに畑を増やすというのは、あまり現実的選択ではない模様。
パラの古木畑。
そして車はハンガリーにある畑Palaパラへ。ウヴェの持つ畑の中で最も樹齢の古い1950年植樹のたった1.1ha。土壌はシストより石英が多めだそう。4年前、購入したばかりだったこの畑のワインについて、拙著に「東向きの畑のワインにしては、それらしい透明感に欠ける」というようなことを書きましたが、今日初めて見る畑はとても期待できそうな面構え:)
最後に車はSzapariサパリなんとも雄大な、すり鉢状の南向き斜面。ここで車を降りると、あんなに体調の悪そうだったウヴェの目にエネルギーが充ちてくるのがわかります。
そして、ガスのかかる寒空の下、4年前の春の日と同じように情熱的に語ってくれました。
そう、彼の情熱はアイゼンベアク一帯に残された古木の維持保存と、その中の優良セレクションをトップサイト(今既に畑になっている部分とプスタ=藪部分の開拓も含めて)に理想的なカタチで植えて行くことに注がれているのです。
ガスっているため、雄大なカットが撮れずに残念!
見事な緑粘板岩がゴロゴロ
そしてそれが最もダイナミックなカタチで行われているのが、ウヴェが「未来のグラン・クリュ」と語るこのサパリである、という訳です。
彼がどのくらいこの畑に愛着を持っているかは、自ら植えたブドウの木を触る様子からも、磨いたら宝石になるのではないか、というくらい見事なグリーン・スレートを拾う様子からも、株仕立てで植えた若木の区画に私を誘導するその足取りの勢いからも、ビンビンと伝わって来ます。
樹勢が強過ぎるので、コルドンに変えて…
彼はコンディションの悪い古木や畝を一列を抜く際に、普通トラクターを使いますが、ライーブルクやサパリでは1本1本手で抜いています。除草も全て手作業…。トラクターで土を圧迫しない、また切らなくてもいい根を傷つけないための配慮です。勿論農薬も最小限。2011年や2012年は防カビ剤すら全く使っていません。
また、台木もいいと思われるものは全て試した上で数種理想的なものを選んで使用していますが、それでも実証は継続中。「樹勢の弱い台木は木が若い頃はなかなか育たずイライラするものの、リーフワークのしやすさ、ひいてはブドウの質からは望ましい」そう。樹勢の強い台木に植えたブドウは、ギイヨからコルドンに仕立を変える…等々、本当に1本1本に名前を付けていても驚かないほどの個別対応ぶり!
サパリ頂上部の株仕立の若木
既に植えた部分はワイヤーに梢を誘引する垣根仕立てですが、斜面頂上部分で株仕立ての実験もしており、今後は斜面も株仕立にする意向のよう。
さて、サパリを後にし、車で10分ほど南に下った、ハーミッシュのハウベン・ローカール(星つきレストラン)でランチを食べながら、熟成したワインを味わいます。
その様子はまた次回に。

2013年1月28日月曜日

魔犬エラちゃんはカメラが嫌い

魔犬エラちゃんは犬種をヒマラヤンだかコーカサス・マウンテンなんとか、というくらいで雪が大好き♥
でもって超自然児なので、カメラは嫌い絶対目を合わせてくれません。

iPhoneですら、レンズを向けるとこのポーズ。…カメラは嫌よ。

寄るとこのポーズ。…やだってばぁ

懲りずにもっと寄ると…
遂に上向いちゃいましたぁ… しつこい、ってば、プン!

済みません、ウヴェの続編忘れてません。今日は時間がなくって…。

2013年1月27日日曜日

ブルゴーニュ全体をヴォーヌ・ロマネと呼べますか? ウヴェ・シーファー訪問記 第1章 アイゼンベアクDACにモノ申す


おっとその前に…。
車はワイナリーのあるヴェークラースドーフを素通りし、HannersbergハンナースベアクKönigsbergクーニヒスベアクの畑を掠めます。
道を挟んでほとんど連続するこの二つの畑は、前者がスレートで後者がこの辺りには珍しい石灰土壌。
斜面最上部のKönigsbergの若木。視線の切れる下方が斜面になっています。
いかにも牧歌的スケールの大きな斜面を「この静けさが大好きだ」とウヴェ。こうした斜面、ドナウ周辺ワイン産地的に言えば、十分“エアステ・ラーゲ”に値すると思うのですが、ウヴェはこの辺りのブドウは、南のドイチェ=シュッツェンのブドウとともに、樹齢にかかわらず彼のベーシッククラスである“ズュドブルゲンラント”に入れてしまいます。
ウヴェ、恐るべし…
同じくクーニヒスベアク。間の一畝を抜いた古木の区画。
斜面部分までベーシック・ブルゲンラントに使うとは、あまりに勿体ない…
そして車はアイゼンベアクの看板のある場所に。ああ、ここは取材時にも車を降りた場所です。
「あれがアイゼンベアク。むこうがサパリ」…地元の人は、このように当たり前に言いますが…。実はアイゼンベアクには3重の意味があります。
ひとつはアイゼンベアク(415m)の山そのもの
もうひとつはそのアイゼンベアク山の周辺に広がるグロースラーゲとしてのアイゼンベアク
そして最後にアイゼンベアクDAC

ところで、このアイゼンベアクDACってかつてのズゥドブルゲンラントと何が違うんでしょう? アイゼンベアクDACの境界線と、ズゥドブルゲンラントの境界線は同じなのか? アイゼンベアクDACの定義、要件は何なのでしょう?
これがアイゼンベアク山。現在森の部分もかつてはブドウ畑でした。
そうウヴェに尋ねると、「ああ、それは僕に聞く質問じゃないね。大体オーストリアみたいな小国にDACはニーダーエスタライヒとブルンラントとシュタイヤーマークがあれば十分なんだよ。本来はアイゼンベアクでない場所、アイゼンベアクとは全く性質の異なる低地の肥沃な部分までアイゼンベアクDACにされてしまって、僕は本当に迷惑しているのさ。」

なるほど…。さらに彼は付け加えます。
「Reihbougライーブルク(注:彼の看板畑)なんて本当に小さくて、下方のFaschingファッシング(この畑のブドウもライーブルクに使われます)を一緒にしても4haくらいしかない。Hummergrabenフンマーグラーベンだってオーストリア側はほんの少し(斜面下方がハンガリーにそのまま連なっています)さ。
だから僕は、バローロやコート・ロティみたいに、個別の畑名ではなく、それぞれの畑をブレンドして最高のアイゼンベアク・キュベを造ろうかとも思っていたんだ。そこへ訳のわからない場所まで含めたアイゼンベアクDACが登場したので、そのアイデアは頓挫しちゃったよ。まあ、ライーブルク、サパリにはもう固定客がついているから、それを無くす、というのも乱暴な話だけれど。」

そうだったのか…。
山の西側、霧の向こうにあるのがサパリ
こういう時です。プリンセスが「しまった!」と思うのは…
拙著に私はライタベアク、アイゼンベアクという新DACは、土壌とそれが生むワインのスタイルに基づくオーストリア初のDACだと書きました。今でもそれは公式見解として別に嘘ではありません
が…。
こうした生産者の声や、政治的理由でルストがポッコリ抜けたライタベアクDACの地図を見る度に、うーん書き直したい、いや、せめて補足説明をせねば…、と強く強く思うプリンセスなのであります。

つまり…。読者の皆さんにわかりやすく説明するなら、アイゼンベアクDACというものは、言ってみれば実質的に、ロマネ・コンティ、ラ・ロマネ、リッシュブール、ラ・ターシュ、ロマネ・サン・St ヴィヴァンの連なる一帯の村名“ヴォーヌ・ロマネ”を、土壌の主体が粘土石灰である、という事実を基にブルゴーニュAOC全体に適用してしまったようなもの。或いは、コルトン・シャルルマーニュの名称をブルゴーニュの白ワイン全てに適用してしまったようなもの。ブルゴーニュAOC全体の呼称をヴォーヌ・ロマネ、或いはコルトンに改称するが如き荒業である、ということなのです。

さてと、気を取り直して:)
車はライーブルクからフンマーグラーベン、パラ、そしてサパリ…と真正アイゼンベアクに連なる正真正銘のグラン・クリュを巡ります。そしてウヴェは彼の夢と、今行っているプロジェクトの成り立ちについて、咳き込みながらも情熱的に語ってくれました。
その模様は次回に。

2013年1月25日金曜日

ようやく逢えました! ウヴェ・シーファー2度目の訪問 序章

ウヴェを訪ねるのは2度目――前回は2009年の春、拙著の取材時。例によって、ざざっと畑を回って、セラーを見て、テイスティングをして…全てを合わせて2時間程度、という強行軍でした。

プリンセスにとって、このウヴェ・シーファーUwe Schieferは、赤の生産者としてはモリッツMoric同様、オーストリア訪問の極初期から、“エレガント・ブラウフレンキッシュ”の双璧で、そのワインを日本にご紹介したいイの一番の生産者だったのです。畑をじっくり見せてもらいたいトップ・プライオリティーの生産者だったのです。

ところが彼の所有畑はたった3ha(リースを含めるとようやく10haを超えましたが)。そのカルト人気はある意味モリッツより高いため、特にそのフラッグシップの畑ものワインは、リリース前にほとんど予約で完売してしまう、という事実をこちらに来て彼と電話で話をし、初めて知りました。
しかもワイナリーはズュドブルゲンラントの辺鄙な町にあり、カンプタールからとても遠い…。
加えて、10年ヴィンテージが量的に極端に少ない年であったため、プリンセスがこちらに来た昨シーズンは下のクラスですら売るワインがない、ということで訪問が伸び伸びに
更にダメ押しで、昨年秋からウヴェが原因不明の病気に罹り、結局今年になってようやく訪問叶った、という訳です。

いやあ、長い道のりでした…。
でもって、ここゴーベルスブルクからウヴェの住むWelgersdorfまでが、また長~い道のり:)

ようやく訪問の約束を取り付けた前日、ÖBBのサイトをチェックしてプリンセス、ため息をつきました…。
電車がない…。
ウヴェに電話をすると、「簡単だよ。ウィーンからバスでグロースペータースドーフまで来れば1本だから。そこまで車で迎えに行くよ。」と言います。
なんとかバス路線の当たりをつけ、午前中10時過ぎの到着を目指します。当然家を6時頃には出ることになります。
まあでも、こういう僻地への乗り継ぎが予定通りに運んだことはないので、予定のバスを乗り過ごす可能性も高い。そこでウヴェには、10時10分か、次の1時間後のバスに乗って11時10分にGrosspetersdorf着になるから、明日朝にバスに乗ってからSMSするから、とメールしておきました。

お昼を奢れ、と強要しているような訪問時間ですが、朝一から訪問しようとすれば前日に近くに泊まらねばならないし、午後から訪問したのでは、その日のうちにお城に帰り着きません…。
ああ、重ね重ねエレガントでない…。

そして果たして、ウィーンからの直通バスは一日1-2本しか出ておらず、この時間だとウィーン郊外で長距離バスに乗り換えねばならず、その乗り換えで見事に最初の予定のバスは乗り過ごし、ある意味予想通り、11時10分Grosspetersdorf Rathaus到着予定のバスに乗り込みました。

こちらのバスは日本のバスほどアナウンスが懇切丁寧ではない…というか、わざわざ次の停留所を教えてくれないのが普通なので、乗るときに予め、「Grosspetersdorfに着いたら教えてね」と言って座ります。
乗り込んでみれば、おお、本当に長距離レジャー仕様バスだぁ! ボックス席では何やらハンガリー人商人らしき夫婦が、テーブルにお札を広げて金勘定を始めています:)
わかりずらいですが、手前はボックス席になっていて、
窓もパノラマ一枚ガラスの完全長距離仕様
そして1時間半以上バスに乗ったでしょうか。運転手が「Grosspetersdorfのどこで降りるの?」と聞いてきます。早速ウヴェに電話して「Grosspetersdorfのどこで降りるの?」と鸚鵡返し。
Uwe: ちっちゃな町だからどこでもいいよ
Princess: …と言われても、どこか言ってくれないと、降りられないんですけどぅ…

てなやり取りがあって数分後、目出度くUweと出会うことができました。

ところがUwe、握手をするなり凄い咳! なんだか目も窪み、いかにも具合が悪そうです。
「病気はまだ悪いの?」車に乗り込むなり、一番気になっていたことを聞いてしまいました。
Uwe: いや、病気は随分よくなったんだ。ただ、大風邪を引いてね。こんなコンディションで申し訳ないんだけど…。
Uwe Schiefer。自慢の畑Szapariにて。
やはり病み上がりは隠せません。
P: いえいえ、申し訳ないのはこちらの方。言ってくれたら今日でなくてもよかったのに…。それで病気って一体何だったの?
Uwe: うーん、それが不思議な病気で、風邪のウィルスが神経を冒した、って言われているんだけれど。平衡感覚はなくなる、本はちゃんと読めない…だから車も危なくて運転できなかったんだ。一時はそれで疲れるし、落ち込むし…。だけど僕には家族もあるし、落ち込んでばかりはいられないだろ。少しずつでも治さなくちゃ、ってリハビリに通い始めたら、随分よくなったよ。
P: あーよかった! だけど去年のブドウはどうしたの? 
U: 具合が悪くなったのが収穫を終えてからだったし、ちゃんとしたブドウさえ収穫してあれば、あとはそんなにやることもないし、毎年一緒に作業している家族と仲間がちゃんとやってくれたよ。

そんなことを話すうち、車はアイゼンベアクの入り口に到着しました。
では、次回は畑巡りの様子をお届けします。お楽しみに!

2013年1月22日火曜日

忘れていません! ハイサン=ノイマン セラー&テイスティング編

畑からワイナリーに向かうと、ベートーヴェンハウスで名高いマイヤー・アム=プァールプラッツのある広場が現れ、その先の突き当りにハイサン=ノイマンはありました。
なぁんだ、目と鼻の先ではないですか!
セラー、プレスルームからの眺めが、いかにもヌースドーフ!
シュテファンはどうやら、最初から私をここに連れて来て、併設のホイリゲと呼ぶには品もクラスも高過ぎるレストランでお昼をご馳走してくれながらワインを試飲させてくれるだけの積りだったようです。
ごめんね、シュテファン。でも、プリンセスにそれは有り得ない話。畑で時間を潰し、汚れた靴で真新しいレストランの床を汚しまくった上、「お昼はいいからセラーを見せてくれ」とせがみます:)
あー、我ながらエレガントでない…
清潔で小じんまりとしたセラー。発酵の主体はステンレスタンクですが、大樽の3つ並んだコーナー、赤ワインの小樽が並ぶ一角もあり。ハッタリは何もありませんが、振動式の選果機やら小バッチのタンクやら…品質のためにはキチンと投資をしていることが見て取れます。
面白いことに、こうして畑とセラーを一回りするだけで、その人がどれだけ実作業に関わっているかは、すぐにわかります。
実作業をしているヒトは、説明しながら畑だと葉を落としたり、枝を誘引したり、針金の位置を直したり、セラーでは計器の数字チェックをしたり、不具合の機材を叩いてみたり、ポンプチューブを片付けたり…ついつい働いてしまうのです:) 

さらに面白いことに、オーナーがどこまで細かい作業までしているかは、意外にワインのレベルとは無関係。ワインメーカーに実作業は任せっ放しでも素晴らしいワインを造るところもあれば、自分で何から何までやって、凡庸なワインしか造れないヒトもいます。

畑巡りでも感じましたが、このシュテファンは本当に働き者プリンセスにセラーを案内しつつ、大樽のトップアップを行い、キチンとポンプチューヴのお片付までしてしまうのですから、天晴。

さて、最後にお昼を食べながら試飲。実はプリンセス、試飲を食事と一緒にするのが大の苦手。だって合わせる食事でワインの美味しさの印象は大違いなんですもの…。

まあでも仕方ありません。当のシュテファン自身がお腹を空かせているようですし:)
セロリのスープと人気メニューだと言う牛ステーキのフライドオニオン添えを頼みます。
うへ、凄いヴォリュームだ…。「ウィーン子はがっつり食べるからね。ガハハハハハ」とシュテファン。

1番目のワインは、最初はモアケラーで、2回目はショップで購入して、その軽快な「らしい」ミネラルに唸った、ご存知Gemischter Satz Nussbergゲミシュター・サッツ ヌースベアク 2011

続いてゲミシュター・サッツ ヴァイスライテン Gemischter Satz Weissleiten 2011軽くオレンジの香味が加わり、余韻も長く、ミネラルにも更に芯と切れがあり「これこれ」と、にんまり。

最初のワインは昨日の抜栓ということで、本来の味わいよりちょっとダレた感じもあります。まあでもヌースベアクはもう何度か試して、その軽快さはよくわかっているので問題なし。

ところで、プリンセスがゲミシュター・サッツに求めるのはあくまで「軽快な」ミネラルです。余韻の長さは、体躯のスケールの割には長い程度でよくって、必要以上に複雑で肉付きが良く、余韻が長くても重苦しいゲミシュター・サッツにはあんまり感心しません。あくまで個人的好みですけど。

ゲミシュター・サッツ ブームによって最近数多く出現した単一畑ものの多くが、ワインとしてのレベルを上げ、複雑さと余韻の長さを増す一方で、一番肝心の[軽さ]が犠牲になっていることが多いことを嘆いているプリンセスとしては、このワイナリーのヌースベアク→ヴァイスライテンのクラスの上がり方はとっても好ましい 早い話、階級上げても体重増やしちゃいかんのです。ゲミシュター・サッツたるもの。

そうプリンセスが話すと、シュテファンも「まあ、ゲミシュター・サッツっていうのは、そもそも品質を高めるためと言うより、伝統的リスクヘッジ技法だからね。つまり、単一のブドウだと、天候がそのブドウに不適当な年には全部被害を蒙る。それを分散するための工夫なんだよ。それに例えば気候的被害や樹齢の問題で木を植え替えることを考えてごらん。家族経営の農家に、一度にそんなに沢山の単一品種の苗木を調達することは難しかったはずだ。」と話してくれました。

実際に育ててみると、ジャストな収穫ポイントを見極めるのが難しいばかりか、リーフワークなどもバラバラなので、実は単一品種より面倒なんだ。味わい的にはクールネスとライプネスのバランスを取る興味深い試みだし、実際そのバランスを上手く取ったワインはちゃんと長期熟成もするんだけどね」ということです。

そして次に、「どうだ!」という感じで出して来たのがGV Haarlockenハーロッケン 2011。ヴァイスライテンとほぼ同じニュアンスのミネラルなのですが、こっちの方がスパイシーでスモーキーかつ圧倒的なミネラルの存在感! 畑を回った際にミネラルオタクを見抜かれたか…:)ここまで石灰的ミネラルがギュウギュウに詰まったグリューナーを、プリンセスはかつて味わったことがありません。

うーん、ハードボイルド! 確かにミネラルオタクは泣いて喜ぶでしょう…ただ、牛肉と合わせると、細身だと思っていたGS Weissleitenに含まれたCHA/Weissburgunderの風味が膨らんで、とてもいい豊かさが出るのに対し、GV Haarlockenは料理の風味を多少圧迫してしまい、コラボしません…ま、もう少しワインを熟成させるか、抜栓後時間を取るか、はたまた合わせるものが野菜料理や魚だとまた違うのかも知れませんが…。

そして帰りの電車の時間も迫ったので、最後のワインとしてRiesling Steinberg シュタインベアク 2011をいただきます。
オレンジブロッサムやアプリコットの風味がとても心地良いのですが、原成岩のリースリングの弾けるようなミネラルに慣れた身には、何か妙にスルリと口に入り、その割に石灰土壌独特の余韻の伸びがあまり感じられません。風味が魅力的なだけにちょっと残念…。シュテファン曰く、もう少し時間の必要なワイン、だそう。

釈然としない顔をしていると、プァッフェンベアクPfaffenberg 07を出して来ました:)。そう、シュテファンは実はKremstalの銘醸Pfaffenbergにも1ha畑を持っているのです。
ほほう、これは既にペトロール香のある、熟成感の出始めたリースリング。ミネラルは弾けます…ですよね。これがプリンセスの慣れ親しんだリースリング:)
サービスを仕切る女性はいるのですが、自分でしゃかしゃかコーヒーも淹れてくれちゃいます。

このワイナリー、他にもゲミシュターサッツのシャンパーニュ・メソッドによるスパークリングや、ピノ他の赤もあるのですが、やはり狙い目は2つのゲミシュター・サッツと、ミネラルオタク向けGV ハーロッケン辺りでしょうか(赤は試す時間がありませんでしたが…)。

ハイサン=ノイマンのゲミシュター・サッツは次回来日時に、意外な場所で極限定的にご紹介できる予定…。正式日本市場デヴューも近いか???
どうぞご期待下さい!!

2013年1月20日日曜日

大雪でお城大混乱!

木曜にゴーベルスブルクを襲った大雪は、金曜に一旦止みましたが、お城は今、積りに積もった雪のために大変なことになっています!
…というのは、オーストリアも西のチロルやフォーアールベアクでは冬の大雪は当たり前なのですが、東部は気温は下がるものの豪雪地帯では決してないので、ヂモティーも一晩で膝まで埋まるような雪にはあまり慣れていません
さらに、お城ワイナリーはゴーベスルブルクの一等地、つまり小高い丘に、町全体を見下ろすように建っていることが、こういうときに災いします。
道を隔ててすぐはす向かいのお宅から通う事務スタッフが一人、ワイナリーに向かう坂道でコケて複雑骨折。手首にボルトを入れる手術を施しました。
お手伝いさんの一人は、ゴミを捨てるために坂を下りる途中で転び、当初捻挫と軽く見ていましたが、ひと晩たっても痛みが酷いので、救急病院でレントゲンを撮るとやはり骨折。ギプスをつけて帰って来ました。

そしてプリンセスには、雪絡みで2シーズン越しに狙っていたショットがありました。
白鳥は今日も見えません
これです!
ハイリゲンシュタイン、雪景色の図
まあ、読者の皆さんには「ああ、雪のハイリゲンシュタイン、綺麗ね。それが?」…ってなくらいのもんでしょう。
ラム、グループ、レンナー=ハイリゲンシュタインとガイスベアクのジョイント部分。
けれどこのショット。実はそんなに簡単に撮れるものではありません。
そしてガイスベアク
理由その1. ハイリゲンシュタイン全体を遠方から捉えるには、視界が良好でなければいけません。従って雪の降っている間や、この季節に多い霧のかかった状態では、このショットは望めません。

理由その2. 理想的には、雪がたんまり積もった後、晴れ上がった状態がベストなのですが、元来沢山雪が積る土地柄でない上、何せハイリゲンシュタインは、その語源のひとつに“ヘリッヒ ハイス”即ち『クソ熱い』、という表現がある位の局地気候。陽が当たると、まずここから雪が解け、なくなってしまうのです。
という訳で、ハイリゲンシュタイン全体の雪景色ショットを捉えるのがいかに難しいか、おわかりいただけたでしょうか?
因みにお城からこの地点まで通常でも徒歩30分程度。深い雪の中、道なき道をかき分けて進むと、往復2時間以上掛かりました…。
水鳥は我が物顔で雪を謳歌しているよう
はい、そうです。そんなことをしていたばかりに、プリンセスの熱風邪は治らないばかりか、節々の痛みに筋肉痛まで加わった、哀しい週末と相成りました…とほほ

2013年1月17日木曜日

雪のゴーベルスブルク、モノクロームの世界

プリンセス、大体年に2度ほど大風邪を引きます。一度ひくと“炎症体質”とかでなかなか熱が引かなかったり、咳が残って気管支炎になったり(最初のオーストリア訪問時、本の取材時もそうだったし、昨年6月もその状態)、鼻風邪から蓄膿症に発展したり…、と結構面倒。

それなのに、昨年は見ることのなかったすごい勢いの雪にエキサイトし、熱の完全に下がらぬ中、どうしても雪景色の写真を撮りたくなりました。
最初はお城の周囲だけ写す積りでしたが、正門の雪かきをしている叔父さんに「畑が綺麗だよ」と言われ、シュタインセッツまでハァハァ言いながら行軍:)
しかも、昨年雪の中、カンプ川を円を描きながら下って行った白鳥達の楽しそうな姿が忘れられず、ご丁寧にカンプ川まで足を…。
残念なことに白鳥の姿は今日はなし…
阿呆、馬鹿者、オコチャマ、そーいうことしてるから風邪が治らない、他にも仕事が溜まってるだろ…色々な声が聞こえてきそうです。
わかってます。でも、天気はプリンセスを待ってはくれません。
今日しか撮れないシーンは今日残すしかない…。はい、アホとでもバカとでもなんとでも呼んで下さいまし。

では、不調を押してゲットしたモノクロームな雪景色をお楽しみ下さい!



畑作業用のショートブーツで出かけようとしたら、雪が深くてズボンばかりか靴の中までビショ濡れになるので、長靴に履き替え、ヒートテックの上にロングダウン、その上に雪よけウィンドブレーカーを着込んでの撮影行脚。

重装備が過ぎて、部屋に戻ると汗グッチョリでした:)

雪かきに出ていたご近所の人々にことごとく怪訝な顔をされたのは言うまでもありません…。

2013年1月13日日曜日

ハイサン=ノイマン訪問記 その2 明かされる、ヌースベアクの秘密

おー寒!!! 8時半過ぎてもマイナス6度です…。

さて、ハイサン=ノイマン訪問の顛末でした。
クリスマスも迫る頃、「できるだけ早くワイナリーを訪問したいのですが」とメールを入れると、ほとんど間髪入れずに、威勢の良い電話がかかってきました。
「いいよ、クリスマス過ぎたらいつでも。事務仕事のない日曜がいいかな。30日はどうだい? ガハハハハ」ってな感じ。
キャラ立ち抜群のステファン・ハイシャン氏。禿頭にだまされガチ
ですが、お肌スベスベで眼鏡もオシャレ。ひょっとして30代の可能性も?
ワイナリーと畑のあるグリンツィング&ヌースドーフ一帯は、ウィーン北西部丘陵地にあるオーストリアきっての高級住宅地。ウィーン中心部までシュトラーセンバーン(路面電車)とUバーン(地下鉄)で十数分程度でありながら、ブドウを初めとする果樹や野菜畑、ドナウ川、山道のハイキングロード、森林が控え、由緒正しいホイリゲも軒を連ねる…という、謂わば避暑地的立地…簡単に言えば、田園調布と軽井沢が合体したような場所です。
Eichelhofweg南側、Roteshaus Nussbergの畑
余談ですが、お城ワイナリー夫人エファの両親もヌースドーフの住人。たまたま訪問日の朝、二人がウチに滞在していたので、「これからヌースドーフのワイナリーに行く」と切り出すと、「ああ、エレガント・ソーシャリストのところかい?」と、お爺ちゃんが皮肉っぽくウィンクして来ます。

??????????

プリンセス、訳がわからず…解説をお願いしました。
A La Carte誌"Wiener Wein"より借用
お爺ちゃんにとってヌースドーフのワイナリーと言えばご存知“マイヤー・アム・プァールプラッツ”。代々所有者のマイヤー家も、買い取った実業家ハンス・シュミット氏も、ウィーン市長も、皆資産家の社会主義者(言ってみれば原理矛盾の人々 : )。ヌースドーフに住む、こうした資産家社会主義者の多くは、自称アーティストだったり社会運動家であったりする訳ですが、要は資産があるので正業もはっきりせず、お役所とのコネでモノゴトを思い通りに運ぶ…んだそうです。※お爺ちゃんは元バリバリの世界を駆け巡るIBMのプロマネで、現在ヌースドーフ住まいとはいえ、あくまで労働者サイドで、こうした資産家とは立ち位置が全く異なる模様。
Hajszan NeumannのNussbergの畑
へえ。じゃ、ハイサンさんもエレガント・ソーシャリストなのかしら? 
あの笑いはもっと庶民的な感じだけどなぁ…、と思いつつ、ハイリゲンシュタット駅前で初顔合わせ。畑が見たい、というプリンセスのリクエストに応え、まず車で畑を巡ってくれます。

その畑の巡り方でプリンセス確信しました…「この人は実務家。根っからの働き者。エレガント・ソーシャリストなんかである訳がない!」と。
良く言えば実にテキパキと、悪く言えば物凄いスピードでセカセカと、機関銃のように話してはガハハハハ、と笑い、グリンツィングからヌースベアク一帯を駆け抜けてしまう…。
Gemischter Satzの昨年植えたばかりの若木。
「あのぅ、ヴァイスライテンで写真撮りたいんですけどぅ。土も見たいんですけどぅ。」そう言って引き返してもらいました :)
ここに植わっているのは、ピノ・ノワール
ところでこのワイナリー、正式に発足してからまだ7年という短期間に、ヌースベアクとグリンツィングの素晴らしい区画ばかり18haを所有する、知る人ぞ知るエッジーな生産者へと成長を遂げています。
ある意味この国を代表する銘醸畑のひとつであるヌースベアク一帯の超優良区画の畑を、何故そんなに急激に買い漁ることができたのか?
お爺ちゃんの言うように、お役所とのコネで実現できたことなのか?
下草を山羊に食べさせる実験を決行中の畑。
いえいえ、全く違うのです。
そもそもシュテファンのワイン造りは、12年前に彼のビアパブで働くヌースベアク出身のおばさんから、2haの畑を貰ったことから始まります。
「どうせ放ったらかしの畑なのだから、この働き者の若者に任せれば、有効に活用してくれるだろう」ということで譲り受けたのだそうです。
信じられないことですが、ゲミシュター・サッツブーム前夜の10年前、ウィーン一帯のブドウ畑は50%が全く打ち捨てられた状態だったそう。

ではホイリゲはどうやって自家製ワインを調達していたのか? 
…自ら畑を耕し汗水垂らして働くより、ヴァインフィアテルなどからバルクワインを買って提供した方が楽、という考え方が主流だったと言うから驚きです。
「だからいい区画も選び放題だった」…と、彼。「今じゃとてもじゃないけど不可能だけどね! ガハハハハ」
Gemischter Satz Weissleitenの畑は北東向き。どうりで、他の生産者より更に冷涼 :)
ところが、ブドウを育て始めてみれば、すぐに病気になる、糖度は上がらない…と、問題だらけ。
ウィーン大学などに相談を持ちかけるうち、「土に原因がある」という結論に達したそう。農薬と化学肥料にまみれた土は、塩のキツイ食事をした後のようなもので、喉が渇くので水を必要以上に吸ってしまい、病気の元になるし、糖度の高い実もつけない、と言うのです。
それで2005年から有機栽培に着手。2006年からはビオディナミに転換し、2009年にDemeter認証を得ています。
…とは言うものの、「デメターシールはお金を取られるので貼るつもりはないし、大体デメターの考え方には、畑では100%従うけれども、セラーでは従う積りはない。だから本当はRESPEKTの考え方に近い。フリッツ・ヴィーニンガーとも一緒に色々やってきたし。」と語ります。
P: へえ、デメターとRESPEKTでは、買いブドウを認める認めない以外では、何が一番違うの?
S: デメターのセラーワークでは問題に対処できないんだよ。例えば、イーストの使用。発酵があまりに遅いと風味に影響が出たり、それに4年経たないとリリースできないようなワインでは困るのさ。勿論僕はその年のうちに飲むようなワインを造る気はないし、長く熟成させてから出すワインがあってもいいけれど、一番シンプルなワインは翌年の3月から5月には売り出したい。僕はシュタイナーは彼の農業論を完成してなかったと思うんだ。
Nussbergを貫くEischelhof通りのてっぺんにあるブッシェンシャンク。
どうやら一帯に畑を所有するワイナリーで共同運営している模様。
シュテファンはここでも人気者。常連と挨拶を交わしてはガハハと笑っています。
そんな話を聞かせてもらいながら、プリンセス、例によって畑をたっぷり見せてもらい、手入れのよく行き届いた車のシートを靴底のドロで汚しまくって : )から、ワイナリーへ。
この日はガスっていましたが、眺望のいい日は、シュテファン大聖堂なども綺麗に見えます。
次回はセラー見学と併設レストランでのテイスティングの様子へと進みます。