2013年3月17日日曜日

河岸を変えました! 今後はヴィノローグを御贔屓に!


「お城ワイナリー滞在記」の読者の皆様、今日から滞在記は"vinologue ヴィノローグ”として生まれ変わります!

怒涛のロードを切り抜けたプリンセス。一昨晩は帰国後初めて、旧友とプライヴェートの夕食を楽しみました。東京で、大阪で、名古屋で様々なイベント、試飲会、セミナー、ディナーにご参加いただいた皆様と関係者の方々にお礼を申し上げたいと思います。

さて、予告通り、ご愛読いただいたプリンセス・アラフィフのお城ワイナリー滞在記は今日から“vinologue ヴィノローグとして新装開店。今後とも一層のご愛顧をよろしくお願い致します!

http://www.vinologue.jp/






ところで、Vinologueは従来のお城ワイナリー滞在記のような、単なるブログではありません。
何が違うかと言うと
1.  これまでのブログが全て産地別、ブドウ別、ワイナリー別にアーカイヴされています。
2.  フリーワード検索もできます。
2.  おまけにオーストリアワインを買える&飲めるお店をご紹介。今後はワイナリーお勧めのオーストリア国内ショップやレストラン情報も充実させます。
3. 単なるe文字媒体としてではなく、オーストリアワイン・ファンの集うe交差点として、様々なアクション&イベントの媒体としても機能します。
4. メンバー特典や優待サービスを充実させる予定です。登録費や年会費などは未来永劫一切かかりませんので、安心してメンバー=仲間になって下さい。

ええ、つまり新サイトvinologueは、オーストリアワインを応援して下さる愛好家、飲食店、そして酒販店の皆さんを、プリンセス自信が情報面で支援してしまおう、という目的で企画運営されています。

とは言うものの、その中心コンテンツは勿論従来通りプリンセスのブログ。今までのように最新アップデートを読むだけでなく、特定ワイナリーのエビソードが知りたい、各産地の傾向が知りたい、直近のイベントが知りたいそんな時に気軽に覗いて使い倒していただけたら、と思っています。

明日からは早速、帰国してから続いていた試飲会、セミナー、ディナーなどのご報告や関連ワイナリー情報などを中心にご紹介して参ります。
お楽しみに!

2013年3月12日火曜日

プリンセスの人生を変えたワイナリー、ヒルシュ

Foodex~大阪~名古屋と続いた鬼のロードもあとひと息。プリンセス東京に戻って参りました。
そこここのセミナーやらワイン会に来て下さった皆さん、本当に有難うございます!

さて。初めてパーティーなどでお目にかかる方によく聞かれる質問があります。「オーストリアに嵌ったキッカケは?」

その度にお答えしてきたことですが、今一度このブログにも書いておきたいと思います。

それは2002年のおそらく初夏。当時勤めていたカリフォルニアワイン輸入会社恒例月一ブラインド勉強会でのこと。白のフライトに20前後のワインが並んでいました。いつもメインはカリフォルニアで、そこに仏、伊、スペイン、チリ他様々な国のワインが何の脈絡もなく少数混ざります。

その日の白ワインの中で3つ気に入ったワインがありました。2つは辛口。ひとつは極甘の貴腐。なんとなくその3つには共通点があり…カリフォルニアより果実味がずっと締まってエレガント。アルザスのようで、なんとなく違い、もっと筋肉質。綺麗な酸はちょっとドイツ的なところもあるけれど、完全な辛口で全くプロポーションが異なる…。さて、一体どこのワイン達? と、思っていました。

ブラインドを解くと、なんと3つ全てオーストリア産!!

当時のプリンセスは既にスクールで教え始めていたのですが、「オーストリア」というワイン産地はプリンセスの辞書になかった、と言うか…。いや、あるにはありましたが、「オーストリア=グリューナー・ヴェルトリーナー=薄甘くて青っぽいミュラー=トゥルガウ的なものだったのです。「Mxxxxx」という“安ワインの味なのにそんなに安くない:)”困ったチャンなワインのイメージしかありませんでした。

そして、そのお気に入り3つのうちのひとつがヒルシュのグリューナー・ヴェルトリーナー Lammラムでした(残りのふたつはクノルのリースリング、恐らくロイベンベアクかシュットとリースリングTBA)。

衝撃でした!

以来ヨーロッパ在住の友人達に、ことあるごとにメールを出してはオーストリアのプレミアムワインの入手方法を尋ねたり、関連図書を送ってもらったり…その熱いラブemailsのひとつが当時のオーストリアワインマーケティング協会会長に転送され、さらにアルバイトて通訳をしたガヤの広報氏がオーストリア人と判明。プリンセスの質問攻めにあった彼は、やはり同人物に私を紹介しました。

そして翌2003年秋。プリンセスは初めてオーストリアのワイン産地を訪れますが、当時の私を捉えて離さなかったのが、ヒルシュのGV ラム 2001とクノルの同年のリースリング シュット&プァッァヘンベアク…。

まさかその7年半後、自分がヒルシュとご近所同士なるとは夢にも思わなかったし、最初の訪墺以来、何度もこの2つのワイナリーを訪れていたのに、ヨハネス・ヒルシュとエメリッヒ・クノルJrが大親友同士である、ということを知ったのは、やはりオーストリアに移り住んでからのことです。

それはそうと、プリンセス…そんなヒルシュの看板畑3つを全て――GV ラム 08、リースリング ハイリゲンシュタイン 03&ガイスベアク, 04, 07, 09――しかもバックヴィンテージとともにコース・ディナーを楽しもう、というメチャクチャ贅沢な企画を14日(木)夜7時から渋谷シノワで行います(ディナー&ワイン込1.5万円)。

まだお席に余裕があるようですので、インヴィテーション代わりにハネスが絶景テイスティング・ルームの前でハイリゲンシュタインとガイスベアクについて語っているビデオをお届けします。因みにこの日気温は-20℃に達していました…ブルルルル
ご興味のある方、即シノワ渋谷店 tel 03-5457-2412まで連絡してみて下さい。
こんな機会、なかなかありませんよ!

2013年3月4日月曜日

ピットナウアー訪問記 エピローグ ゲアハルトの見出したテロワール

先月27日の晩から発症したインフルエンザもようやく平熱に落ち着き、後は咳と気管支炎が収まってくれるのを待つのみ。…怒涛のイベントラッシュにはギリギリセーフとなりますように。

さて、永らく間を置いてしまいましたが、ピットナウアーの最終回です。
実は今回の訪問の重要な目的のひとつが、ピットナウアーの単一畑ものの個性を見極めることでした。…大抵の場合、畑の力はヒトからより畑自体から伝わる割合が大きい。百聞は一見に如かず、の場合が多いのです。けれどこのヒトに限り、ちょっと違いました。
小樽の向こうには空気圧プレスと小ロットのステンレス発酵タンク
12.2%しかないローゼンベアクのStラウレント 2010を味わいながら、ゲアハルトは言います。「これこそ僕のメッセージだ。Stラウレントは決して過熟にしたり、ジャミーになったりしてはいけないんだと。また、2000年に植えたこの畑が、2006年の有機転換1年目に、とても素晴らしいワインになったので、その翌年から、まだ樹齢が若いにもかかわらず、単一畑ものとして売り出すことにした経緯も話してくれました。
熟成する小樽にも細かく区画と処置が書き込んであります
ずらりと並んだ小樽…ですが現在は中樽比率が急激増加中
今セラーを建て直すなら、大樽とコンクリート
の発酵桶をもっと増やしたい、とゲアハルト
そしてStラウレント アルテ・レーベン 08を味わいながら、こんな話を聞かせてくれました。

彼は18歳のとき父親を亡くし、若くしてワイナリーを継ぎます。当初母親と姉とともに仕事をしていましたが、8年後に独立。その時点で4haに満たない畑、ワイナリー周辺の平地の畑しか持っていなかったそうです。その中にアルテ・レーベンの区画も含まれます。

お父さんがゲアハルトの生まれた年に記念に植えたブドウがこのアルテ・レーベン。今丁度48歳です。彼が独立した当時、この辺りではブドウは20年くらいで抜くのが習わしだったそう。収量は落ちるし、ウィルスにやられるものも多かったし、というのが理由。けれど植え替えるには、苗木はもちろん、垣根を新しくし、ワイヤーを張り替えるのが普通。お金がかかります。
また彼は、収量が劇的に減る半面、ブドウの質は少しずつ向上することもちゃんと観察していました。結局ゲアハルトはその区画を残すことを決心。細心の手間と手入れでワインを造り続けました。そしてそのワインによって「僕はプレミアムワイン生産者の仲間入りをすることができた」と述懐します。
!!! 
2つのStラウレントをエビソード付きで味わい、プリンセスようやくわかりました!
やっぱりゲアハルトはプリンセスに意図的にゴルスより西側の、川の運んだ小石と海の底由来の石灰土壌の、風の強い頂上台地の畑を見せてくれたのです!
大切に大切に育ててきた平地の古木が醸し出す、ある種フラワリーで少し青い植物的な香り――ビオディナミ農法に見事に反応し、若くしてその持ち味を表現したローゼンベアク畑に、ゲアハルトは“テロワール”を発見したのです。

誰にでもわかる銘醸サイト、或いは土壌からテロワールを表現したワインを造ることは、簡単とは言いませんが、そういう畑を所有する生産者のある種義務だとプリンセスは思います。
けれど、こうした一見地味な立地の、しかも平地の畑だけからスタートし、4半世紀の時間と労力をかけて見つけた、かけがえのない"テロワール"というものは、もしかしたら予め与えられた銘醸畑より、貴重なものかも知れません。。こうした畑やワインは、それが派手に目立つ訳ではないからこそ、我々ワインのプロを自称する人間や、心のこもったワイン愛好家がしっかり見出し、応援して行きたい、とプリンセスは思うのです。
木製開放発酵&熟成桶がない訳を問うと「高いから」と明快
そんな訳で、ピットナウアーはベーシックはロゼとキュベ。ミドルクラスはピノ。クラスを上げるなら、彼の神髄とテロワールを味わうのなら、Stラウレント、に決まり!!!

※尚ピットナウアーのワインは、3月11日の日本グランドチャンパーニュでの業界向け試飲会@名古屋、そして4月7日に予定しているサンパ@荻窪の愛好家向けワインディナーにお目見えの予定です。

2013年3月2日土曜日

プリンセス絶体絶命…神様、どうかお助けを!

帰国当日は哀れなスタバ難民。
翌日はブログでもお知らせした通り、インポーターVortexさんの春の試飲会に参上したプリンセス。(その嬉しいご報告はまた別の機会に:)

試飲会の後、PC買い換え調査のため、友人を伴ってアキバへ。…この辺りからです。妙に体がダルくなり、咳やくしゃみが出るようになり…PCなんかどうでもよくなり、そそくさと家路につきました。そして夕食を摂りますが、ますます節々やら腰が痛くなってきます。

着いた日から気管支の辺りがイガイガ痒かったのですが、「花粉だろう」と思っていました。オーストリアを発つ前は、とにかくあらゆることが集中して起こっており、超多忙だったので、ダルいのも当然、と思っていました。引っ越しのための荷物の総片付けをし、沢山のゴミの整理もしてきたし、重いトランクをズリズリ運んで来たので、筋肉痛も当たり前、…と意にも介しませんでした。

ところがその晩、咳は酷い、ただものではない頭痛と節々の痛み…で、プリンセス、ほとんど寝たのだか寝なかったのだか、という時を過ごし、翌朝体温を測ると、起き抜けで8度7分…
母親に「さっさと病院へ行っていらっしゃい」と言われるも、あまりに辛くて体が動かせないような有様…。そして昼にはついに体温が9度を突破…
このままでは、今後のスケジュールに差し障るだろう、ということで、痛み軋む身体にムチ打って、近所の病院へ。

なんと…インフルエンザ…しかも今年日本ではほとんど見れらないB型…ということで、ほぼ間違いなくオーストリアからの有難くもないお土産であることが判明。
その場でタミフル5日分に相当するとかいう点滴を打ってもらい、自宅に戻って来ました。
にもかかわらず、翌日もまだ8度前後熱があり、「背に腹は代えられぬ」と、再び点滴。
今日になって、ようやく7度前後まで体温は下がりました。でも咳と喉の痛みは一向に治まりません。いやあ、参った…

お城当主ミッヒは4日に来日。その日から様々なイベントが怒涛の如く組まれています。
けれど、27日夜の発症とすれば、4日までは自宅待機が望ましい…。

うーん、どうするんだプリンセス??
しかもこのインフルエンザ騒動…コトは意外な展開を見せます…