2013年1月27日日曜日

ブルゴーニュ全体をヴォーヌ・ロマネと呼べますか? ウヴェ・シーファー訪問記 第1章 アイゼンベアクDACにモノ申す


おっとその前に…。
車はワイナリーのあるヴェークラースドーフを素通りし、HannersbergハンナースベアクKönigsbergクーニヒスベアクの畑を掠めます。
道を挟んでほとんど連続するこの二つの畑は、前者がスレートで後者がこの辺りには珍しい石灰土壌。
斜面最上部のKönigsbergの若木。視線の切れる下方が斜面になっています。
いかにも牧歌的スケールの大きな斜面を「この静けさが大好きだ」とウヴェ。こうした斜面、ドナウ周辺ワイン産地的に言えば、十分“エアステ・ラーゲ”に値すると思うのですが、ウヴェはこの辺りのブドウは、南のドイチェ=シュッツェンのブドウとともに、樹齢にかかわらず彼のベーシッククラスである“ズュドブルゲンラント”に入れてしまいます。
ウヴェ、恐るべし…
同じくクーニヒスベアク。間の一畝を抜いた古木の区画。
斜面部分までベーシック・ブルゲンラントに使うとは、あまりに勿体ない…
そして車はアイゼンベアクの看板のある場所に。ああ、ここは取材時にも車を降りた場所です。
「あれがアイゼンベアク。むこうがサパリ」…地元の人は、このように当たり前に言いますが…。実はアイゼンベアクには3重の意味があります。
ひとつはアイゼンベアク(415m)の山そのもの
もうひとつはそのアイゼンベアク山の周辺に広がるグロースラーゲとしてのアイゼンベアク
そして最後にアイゼンベアクDAC

ところで、このアイゼンベアクDACってかつてのズゥドブルゲンラントと何が違うんでしょう? アイゼンベアクDACの境界線と、ズゥドブルゲンラントの境界線は同じなのか? アイゼンベアクDACの定義、要件は何なのでしょう?
これがアイゼンベアク山。現在森の部分もかつてはブドウ畑でした。
そうウヴェに尋ねると、「ああ、それは僕に聞く質問じゃないね。大体オーストリアみたいな小国にDACはニーダーエスタライヒとブルンラントとシュタイヤーマークがあれば十分なんだよ。本来はアイゼンベアクでない場所、アイゼンベアクとは全く性質の異なる低地の肥沃な部分までアイゼンベアクDACにされてしまって、僕は本当に迷惑しているのさ。」

なるほど…。さらに彼は付け加えます。
「Reihbougライーブルク(注:彼の看板畑)なんて本当に小さくて、下方のFaschingファッシング(この畑のブドウもライーブルクに使われます)を一緒にしても4haくらいしかない。Hummergrabenフンマーグラーベンだってオーストリア側はほんの少し(斜面下方がハンガリーにそのまま連なっています)さ。
だから僕は、バローロやコート・ロティみたいに、個別の畑名ではなく、それぞれの畑をブレンドして最高のアイゼンベアク・キュベを造ろうかとも思っていたんだ。そこへ訳のわからない場所まで含めたアイゼンベアクDACが登場したので、そのアイデアは頓挫しちゃったよ。まあ、ライーブルク、サパリにはもう固定客がついているから、それを無くす、というのも乱暴な話だけれど。」

そうだったのか…。
山の西側、霧の向こうにあるのがサパリ
こういう時です。プリンセスが「しまった!」と思うのは…
拙著に私はライタベアク、アイゼンベアクという新DACは、土壌とそれが生むワインのスタイルに基づくオーストリア初のDACだと書きました。今でもそれは公式見解として別に嘘ではありません
が…。
こうした生産者の声や、政治的理由でルストがポッコリ抜けたライタベアクDACの地図を見る度に、うーん書き直したい、いや、せめて補足説明をせねば…、と強く強く思うプリンセスなのであります。

つまり…。読者の皆さんにわかりやすく説明するなら、アイゼンベアクDACというものは、言ってみれば実質的に、ロマネ・コンティ、ラ・ロマネ、リッシュブール、ラ・ターシュ、ロマネ・サン・St ヴィヴァンの連なる一帯の村名“ヴォーヌ・ロマネ”を、土壌の主体が粘土石灰である、という事実を基にブルゴーニュAOC全体に適用してしまったようなもの。或いは、コルトン・シャルルマーニュの名称をブルゴーニュの白ワイン全てに適用してしまったようなもの。ブルゴーニュAOC全体の呼称をヴォーヌ・ロマネ、或いはコルトンに改称するが如き荒業である、ということなのです。

さてと、気を取り直して:)
車はライーブルクからフンマーグラーベン、パラ、そしてサパリ…と真正アイゼンベアクに連なる正真正銘のグラン・クリュを巡ります。そしてウヴェは彼の夢と、今行っているプロジェクトの成り立ちについて、咳き込みながらも情熱的に語ってくれました。
その模様は次回に。