おっとその前に…。
車はワイナリーのあるヴェークラースドーフを素通りし、HannersbergハンナースベアクとKönigsbergクーニヒスベアクの畑を掠めます。
道を挟んでほとんど連続するこの二つの畑は、前者がスレートで後者がこの辺りには珍しい石灰土壌。
斜面最上部のKönigsbergの若木。視線の切れる下方が斜面になっています。 |
ウヴェ、恐るべし…
同じくクーニヒスベアク。間の一畝を抜いた古木の区画。 斜面部分までベーシック・ブルゲンラントに使うとは、あまりに勿体ない… |
「あれがアイゼンベアク。むこうがサパリ」…地元の人は、このように当たり前に言いますが…。実はアイゼンベアクには3重の意味があります。
ひとつはアイゼンベアク(415m)の山そのもの。
もうひとつはそのアイゼンベアク山の周辺に広がるグロースラーゲとしてのアイゼンベアク。
そして最後にアイゼンベアクDAC。
ところで、このアイゼンベアクDACってかつてのズゥドブルゲンラントと何が違うんでしょう? アイゼンベアクDACの境界線と、ズゥドブルゲンラントの境界線は同じなのか? アイゼンベアクDACの定義、要件は何なのでしょう?
これがアイゼンベアク山。現在森の部分もかつてはブドウ畑でした。 |
なるほど…。さらに彼は付け加えます。
「Reihbougライーブルク(注:彼の看板畑)なんて本当に小さくて、下方のFaschingファッシング(この畑のブドウもライーブルクに使われます)を一緒にしても4haくらいしかない。Hummergrabenフンマーグラーベンだってオーストリア側はほんの少し(斜面下方がハンガリーにそのまま連なっています)さ。
だから僕は、バローロやコート・ロティみたいに、個別の畑名ではなく、それぞれの畑をブレンドして最高のアイゼンベアク・キュベを造ろうかとも思っていたんだ。そこへ訳のわからない場所まで含めたアイゼンベアクDACが登場したので、そのアイデアは頓挫しちゃったよ。まあ、ライーブルク、サパリにはもう固定客がついているから、それを無くす、というのも乱暴な話だけれど。」
山の西側、霧の向こうにあるのがサパリ |
拙著に私はライタベアク、アイゼンベアクという新DACは、土壌とそれが生むワインのスタイルに基づくオーストリア初のDACだと書きました。今でもそれは公式見解として別に嘘ではありません。
が…。
こうした生産者の声や、政治的理由でルストがポッコリ抜けたライタベアクDACの地図を見る度に、うーん書き直したい、いや、せめて補足説明をせねば…、と強く強く思うプリンセスなのであります。
つまり…。読者の皆さんにわかりやすく説明するなら、アイゼンベアクDACというものは、言ってみれば実質的に、ロマネ・コンティ、ラ・ロマネ、リッシュブール、ラ・ターシュ、ロマネ・サン・St ヴィヴァンの連なる一帯の村名“ヴォーヌ・ロマネ”を、土壌の主体が粘土石灰である、という事実を基にブルゴーニュAOC全体に適用してしまったようなもの。或いは、コルトン・シャルルマーニュの名称をブルゴーニュの白ワイン全てに適用してしまったようなもの。ブルゴーニュAOC全体の呼称をヴォーヌ・ロマネ、或いはコルトンに改称するが如き荒業である、ということなのです。
さてと、気を取り直して:)
車はライーブルクからフンマーグラーベン、パラ、そしてサパリ…と真正アイゼンベアクに連なる正真正銘のグラン・クリュを巡ります。そしてウヴェは彼の夢と、今行っているプロジェクトの成り立ちについて、咳き込みながらも情熱的に語ってくれました。
その模様は次回に。