さて、ハイサン=ノイマン訪問の顛末でした。
クリスマスも迫る頃、「できるだけ早くワイナリーを訪問したいのですが」とメールを入れると、ほとんど間髪入れずに、威勢の良い電話がかかってきました。
「いいよ、クリスマス過ぎたらいつでも。事務仕事のない日曜がいいかな。30日はどうだい? ガハハハハ」ってな感じ。
キャラ立ち抜群のステファン・ハイシャン氏。禿頭にだまされガチ ですが、お肌スベスベで眼鏡もオシャレ。ひょっとして30代の可能性も? |
Eichelhofweg南側、Roteshaus Nussbergの畑 |
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プリンセス、訳がわからず…解説をお願いしました。A La Carte誌"Wiener Wein"より借用 |
Hajszan NeumannのNussbergの畑 |
あの笑いはもっと庶民的な感じだけどなぁ…、と思いつつ、ハイリゲンシュタット駅前で初顔合わせ。畑が見たい、というプリンセスのリクエストに応え、まず車で畑を巡ってくれます。
その畑の巡り方でプリンセス確信しました…「この人は実務家。根っからの働き者。エレガント・ソーシャリストなんかである訳がない!」と。
良く言えば実にテキパキと、悪く言えば物凄いスピードでセカセカと、機関銃のように話してはガハハハハ、と笑い、グリンツィングからヌースベアク一帯を駆け抜けてしまう…。
Gemischter Satzの昨年植えたばかりの若木。 |
ここに植わっているのは、ピノ・ノワール |
ある意味この国を代表する銘醸畑のひとつであるヌースベアク一帯の超優良区画の畑を、何故そんなに急激に買い漁ることができたのか?
お爺ちゃんの言うように、お役所とのコネで実現できたことなのか?
下草を山羊に食べさせる実験を決行中の畑。 |
そもそもシュテファンのワイン造りは、12年前に彼のビアパブで働くヌースベアク出身のおばさんから、2haの畑を貰ったことから始まります。
「どうせ放ったらかしの畑なのだから、この働き者の若者に任せれば、有効に活用してくれるだろう」ということで譲り受けたのだそうです。
信じられないことですが、ゲミシュター・サッツブーム前夜の10年前、ウィーン一帯のブドウ畑は50%が全く打ち捨てられた状態だったそう。
ではホイリゲはどうやって自家製ワインを調達していたのか?
…自ら畑を耕し汗水垂らして働くより、ヴァインフィアテルなどからバルクワインを買って提供した方が楽、という考え方が主流だったと言うから驚きです。
「だからいい区画も選び放題だった」…と、彼。「今じゃとてもじゃないけど不可能だけどね! ガハハハハ」
Gemischter Satz Weissleitenの畑は北東向き。どうりで、他の生産者より更に冷涼 :) |
ウィーン大学などに相談を持ちかけるうち、「土に原因がある」という結論に達したそう。農薬と化学肥料にまみれた土は、塩のキツイ食事をした後のようなもので、喉が渇くので水を必要以上に吸ってしまい、病気の元になるし、糖度の高い実もつけない、と言うのです。
それで2005年から有機栽培に着手。2006年からはビオディナミに転換し、2009年にDemeter認証を得ています。
…とは言うものの、「デメターシールはお金を取られるので貼るつもりはないし、大体デメターの考え方には、畑では100%従うけれども、セラーでは従う積りはない。だから本当はRESPEKTの考え方に近い。フリッツ・ヴィーニンガーとも一緒に色々やってきたし。」と語ります。
P: へえ、デメターとRESPEKTでは、買いブドウを認める認めない以外では、何が一番違うの?
S: デメターのセラーワークでは問題に対処できないんだよ。例えば、イーストの使用。発酵があまりに遅いと風味に影響が出たり、それに4年経たないとリリースできないようなワインでは困るのさ。勿論僕はその年のうちに飲むようなワインを造る気はないし、長く熟成させてから出すワインがあってもいいけれど、一番シンプルなワインは翌年の3月から5月には売り出したい。僕はシュタイナーは彼の農業論を完成してなかったと思うんだ。
Nussbergを貫くEischelhof通りのてっぺんにあるブッシェンシャンク。 どうやら一帯に畑を所有するワイナリーで共同運営している模様。 |
シュテファンはここでも人気者。常連と挨拶を交わしてはガハハと笑っています。 |
この日はガスっていましたが、眺望のいい日は、シュテファン大聖堂なども綺麗に見えます。 |