「山の藪の部分も、昔は全部ブドウ畑だったのさ。ハンガリー語でプスタって呼ぶんだけど、そこにもブドウを植えたいんだよ。ブドウを植えるにはまず木を抜いて、フムス(腐葉土)を入れて、支柱を埋めて、ワイヤーを張らなくちゃならないだろ。そこまでの作業をするには土地を買うしかないんだ。…でも僕の問題は、そんな資金がないことさ。ワインは順調に売れているよ。でも去年(2010年ヴィンテージ)は売るワインがなくって、本当に困った。僕はワインが買われることを前提に投資しているから、売る予定のワインが天候不良などでできないと、大きな問題なんだ。」
そうだったのか…。
畑を買うと、まずこの支柱とワイヤーを替えねばなりません。 |
風邪のウィルスが神経を冒す、という奇病も、ひょっとして彼のそんな切羽詰まった精神状況と無関係ではなかったかも…。プリンセスはそんなことを思っていました。
ライーブルクの1950年代に植えられた古木 |
看板畑Reihburg ライーブルクの古木を掠めながら、ウヴェにどうしてトップ・ソムリエの職を投げ打ってワインを造ることになったのか、何故アイゼンベアクでなければならなかったのか、どうして白ではなくてブラウフレンキッシュだったのか、…そんなことを色々尋ねてみました。
Princess: どうしてワインを造ろうと思ったの?
Uwe: よくある「ワイン・ウィスルに感染した」ってやつだね。シュタイアレック時代にオーストリアワイン担当だった関係で、最初は興味のあるワイナリーを休みの日に訪ね歩いていたんだ。そのうち休みの日だけでは足りなくなって、店を終えてほとんど朝方近くにここ(実家)にやってきて、2-3時間仮眠を取って、早朝にブドウ農家に行って「何か手伝うことはないか」って、聞いて歩くようになってたよ:)
※元ソムリエである彼は当然栽培醸造の専門教育は一切受けておらず、彼曰はく「老農夫を助けて、老農夫からすべてを教わった」そうです。
P: どうしてアイゼンベアクだったの? 故郷の町に近かったから?
U: いや。オーストリア全土のワインを試してたんだけど、この周辺のワインが…造ってる人は「垢抜けない、田舎のワインだから」って出して来るんだけど、一番良かったんだ。それで畑を見れば、土壌は見事なグリーン・スレート主体に石英の混ざるミネラル豊かで水捌けのいい理想的なもの。向きは南東、南、南西の見事な斜面。高度も日照も理想的。それで「ここしかない!」って思ったよ。
P: だけどワインを造ろうと決心をした90年代の前半に、あなたをインスパイアするようなオーストリアの赤ワインなんてあったの? マリーエンタール?
U: けっ、マリーエンタールなんかどうでもいいよ。確かに76年は素晴らしかったかも知れないけど、その後のマリーエンタールはオークが強くて抽出も強い、重たい…それこそ野暮なワインの見本みたいになってただろ。オーベラー・ヴァルトの方がずっとましだよ。…そうだなぁ、この辺りの…クルツラーやミッテルブルゲンラントのフランツ・ヴェーニンガーなんかの大樽のワインは良かったよ。まあでも確かに、いいと思うものは5つもなかったね。だからこそ、ここでなら、今はまだない素晴らしいワインが造れる、って確信したのさ。
車がアイゼンベアクの最も標高の高い白ブドウの畑を通過する際、アイゼンベアク近辺は従来ずっと赤優勢の土地柄だったのか、尋ねてみます。…案の状、70年代には白が6割だったそう。しかも、ゲミシュター・サッツにもしない、GVでアルコールを、ヴェルシュ・リースリングで酸を稼ぐ、という「飲めりゃいいだろう」的収量過多の安ブレンドワイン。それは赤とて同じことで、酸をブラウフレンキッシュで、収量と色をブラウアー・ポルチュギーザーで稼ぐような駄ワインがほとんどだった、とか。
そんな話をするうちに車は東向きの斜面Hummergrabenフンマーグラーベンに差し掛かり、斜面を伝いつつ、ハンガリーに入ります。斜面の中腹部分が最もポテンシャルの高い区画だそうですが、丁度その辺りでオーストリアとハンガリーが分断されたカタチ(上がオーストリア、下がハンガリー)。4年前の拙著取材の際は、ウヴェはこのハンガリー側のブドウ畑のコンディションの悪さを嘆くとともに、今後の可能性の大きさを語っていましたが、この4年間に随分政治的環境が変わってしまったらしく「ハンガリー人は超国粋主義者が多く、オーストリア人が自国の土地を買うのを好まないし、現ハンガリー政権がそれを助長している」のだとか。第一、畑の価格も今やオーストリアサイドと全く変わりはなくなっており、これ以上ハンガリーに畑を増やすというのは、あまり現実的選択ではない模様。
パラの古木畑。 |
最後に車はSzapariサパリへ。なんとも雄大な、すり鉢状の南向き斜面。ここで車を降りると、あんなに体調の悪そうだったウヴェの目にエネルギーが充ちてくるのがわかります。
そして、ガスのかかる寒空の下、4年前の春の日と同じように情熱的に語ってくれました。
そう、彼の情熱はアイゼンベアク一帯に残された古木の維持保存と、その中の優良セレクションをトップサイト(今既に畑になっている部分とプスタ=藪部分の開拓も含めて)に理想的なカタチで植えて行くことに注がれているのです。
ガスっているため、雄大なカットが撮れずに残念! |
見事な緑粘板岩がゴロゴロ |
彼がどのくらいこの畑に愛着を持っているかは、自ら植えたブドウの木を触る様子からも、磨いたら宝石になるのではないか、というくらい見事なグリーン・スレートを拾う様子からも、株仕立てで植えた若木の区画に私を誘導するその足取りの勢いからも、ビンビンと伝わって来ます。
樹勢が強過ぎるので、コルドンに変えて… |
また、台木もいいと思われるものは全て試した上で数種理想的なものを選んで使用していますが、それでも実証は継続中。「樹勢の弱い台木は木が若い頃はなかなか育たずイライラするものの、リーフワークのしやすさ、ひいてはブドウの質からは望ましい」そう。樹勢の強い台木に植えたブドウは、ギイヨからコルドンに仕立を変える…等々、本当に1本1本に名前を付けていても驚かないほどの個別対応ぶり!
サパリ頂上部の株仕立の若木 |
さて、サパリを後にし、車で10分ほど南に下った、ハーミッシュのハウベン・ローカール(星つきレストラン)でランチを食べながら、熟成したワインを味わいます。
その様子はまた次回に。