プリンセス、オーストリア移住を計画的に進めた訳では全くありません。
原発事故の影響を心配し、あまりに多くのオーストリアのワイナリーや友人が「しばらくこっちにおいで」と言ってくれた、その言葉を真に受けて本当に来てしまった、という能天気の見本。
言葉のことも、当初あまり真剣に考えてはいませんでした。
だってこれまで取材は極々一部を除いて英語でとりあえず問題なかったし、一応大学で多少ドイツ語はかじっているし、高校生の頃交換留学プログラムで実質9か月アメリカに住んだ時も、3か月を過ぎる辺りからとりあえず日常会話には困らなかったような気がするし…。まぁ、現地に住めば大した苦労もなく言葉くらいは覚えるのだろう、と、タカをくくってました。
しかーし!!!
残念なことにアラフィフの運動神経(言語習得能力はこれに尽きる、とプリンセスは思っています)の衰えと言ったら…。我ながら言語習得の遅さに愕然とします。
しかも、仕事は依然、あんまり相手をじらしても迷惑だろう、と、こちらから英語で話してしまうし、オフィスでも込み入った話は全部英語だし、お爺ちゃんお婆ちゃんに至っては、私を英会話練習のいい相手、くらいに思っているよう…。しかも当然、公私にわたってこうやって日本語でコミュニケートしている時間が圧倒的に長い…。
結局、自分でも嫌になるくらいにドイツ語が自分のものになりません。
昨日も、お婆ちゃんがアセアセと昼食を取り分けながら"Yukari, gib mir einen großen Löffel"(大きいスプーン取って頂戴)と、叫んでいるのに、一瞬頭の中で「レッフェルとガーベル、ガーベルがフォークでレッフェルは…、ああ、スプーンだったわね」と、スパっと反応できない自分がいるのです。そう反芻している自分がつくづく悲しくなりました。※英語とドイツ語って、もっと似てるのかと思っていましたが、こういう基本的な単語からして、憎らしいくらいに違うのですよ。
その後お婆ちゃんが家族全員に向けて「このサラダは5人で取り分けて…」と、そこまではわかったのですが、「もっと沢山あるのだけれど、それは夜にうんたらかんたら…」。最終的に何が言いたいのかが霧の中…。結局今目の前にあるサラダを、自分が今どのくらい食べていいのか、それが夜のサラダとどういう関係にあるのか…」そういうことが俄かにすんなり理解できない訳です。死ぬほどイライラします。アホか? もう実質滞在1年半近くにもなるのに…、と。
こちらに来た当初は、仕事は英語。ドイツ語は情報を仕入れられればいい(=読めれば十分)、と思っていました。ところが実際には、片田舎での生活は、切符を買うにも、銀行口座を開くにも、携帯を持つにも、コトがちょっと込み入ると、ドイツ語ができないと話になりません。ワイナリーの仕事だって、畑でもセラーでも、ぜーんぶドイツ語。あたり前のことですが、その国の言葉をちゃんと解さないうちはお客さん、或いはよそ者に過ぎません。ヴィンツァーから本音を聞き出そうと思ったら、やはりドイツ語を自由に操れた方がいいに決まっています。
それに、プリンセスにはアメリカ人社長の下で働いた経験がありますが、元証券会社日本支社長の彼は、日本に10年以上いるのに、簡単な挨拶と数字くらいしか日本語を解さないし、覚えようともしなかったことを思い出しました。そして知能は十分に高いのに、日本語が使えないことを意に介さないばかりか、それでいて日本文化通を自認する彼に対して、ある種の欺瞞を見ていたことも頭を過りました。そんなこともあり、
これではいかん!!
と、一念発起。独語会話のCDを聞いたり、帰国時に文法書や問題集を買って持ち帰り、毎日昼食後に少しずつ解いてみたり…、と、学生時代の不勉強の因果応報、なのか、この歳で何故??? なことをしてみたりもしているのです。うーん、でも自分から話す機会があまりないからでしょう。情けないくらい使えるようにならないんです。
ところでプリンセス、この2月でお城を出ます。今まではまがりなりにも、オフィスでもキッチンでも、社員や家族がドイツ語を話すのを毎日聞いていました。東欧諸国から来ている使用人や畑労働者達との共通言語もドイツ語しかありませんから、互いに全くのブロークンとは言え、ドイツ語で話す機会が皆無ではありませんでした。が、今後一人暮らしになると、ドイツ語をコンパルソリーで使う時間も聞く時間もおそらく著しく減ってしまうなぁ、と。そうなるとやはりドイツ語習得は一層遠い道のりかぁ、と、ちょっと寂しい気持ちになります。
この後牛の歩みでも少しずつドイツ語上達のための努力をするのか、もうここでスッパリ諦めあくまでエイリアンとしてオーストリアに居つくのか…。
最近随分ラジオや周囲の会話が、特にお題が音楽や芸術、ワイン関連だったりすると理解できるようになって来ただけに、かなり未練たっぷりなプリンセスであります。