尚子先生のお得意はバッハとフレスコバルディ。でも今回前半でフィーチャーされたのはドメニコ・スカルラッティのソナタ。
美しい高橋辰郎さん製作の楽器。 |
スペイン舞曲の影響を受けた躍動感あるリズム、対照的に前進しないもどかしい旋律展開、ミーントーンを土台としたフレスコバルディを思わせるデコボコ感の大きい懐古的旋律があるかと思うと、バッハと同い年でありながら、その後の古典主義的和声展開や、さらに一足飛びに近代現代音楽を思わせる不協和音満載の曲もあるなど、とても多彩で興味深い反面、何が本当にやりたかったのか判然としない、なんだかその尻尾のつかみ難い不思議な作曲家です。
プリンセス的には、バッハの音楽が、オルガンだろうが、ピアノで弾こうが、ジャズアレンジを施そうが、「ああ、バッハってこういう音楽ね」とすんなり受け容れられるのとは対照的に、スカルラッティの音楽は、どの演奏家の、どんな時代や様式の楽器を使った演奏にも「本当にそんな曲なのかしら?」と疑いを抱かせるような妙な印象があります。
尚子先生もだから(かどうかはわかりませんが)、今までなかなか挑戦できなかった、とのこと。
先生自身の解説によると、スカルラッティと彼が音楽教師として生涯仕えた王女マリア・バルバラの間には身分上「決して口にはできない」恋愛感情が存在したそうです。あのもどかしい旋律展開は、そんな精神風景の反映だった節もあるのですね。
プリンセスはスコット・ロス演奏の颯爽&決然としたリズム感が結構お気に入りなのですが、尚子先生の演奏は、どちらかと言えば“逡巡”の方にスポットが当たってるように聴こえ、スカルラッティの新たな音楽世界を垣間見せていただきました。
ところで舟江斎の魅力は尚子先生の演奏だけではありません。ご主人のチェンバロ製作家、辰郎さんの前半&後半の演奏前の解説も、プリンセスにとっては毎回大きなお楽しみ。
辰郎さんはいつも「こんなことは、世界広しと言えどもここでしか言っていません」「私は異端ですから」と前置きし、チェンバロの重要な音楽的表現能力として、弾き方により微妙に音程をコントロールできる点を強調します。そして、昨日は純正律と古典調律(昨日のはミーントーン? いや、バッハも弾いたのだからヴェルクマイスター?)の両方でドレミを弾き、低く感じる後者のレ音をタッチで自然な高さに持っていけることを実演してくれました。
で、本来チェンバロ音楽はそのようなピッチ・コントロールを要求する場所が沢山あり、演奏家はピッチの高低、或いは歌いまわしを常に意識しながら演奏をしなければいけないそうです。
プリンセスは尚子先生にクラヴィコードとチェンバロをあわせて4年ほど教えていただいたので、それがどんなに難しいことか身にしみて知っています。そういうことをアタマの中で意識しながら旋律を歌うこと自体、なかなかできることではありません。
ですが、チェンバロの泣き所は、温度変化にさらされるとビュンビュン音が狂ってしまうこと。微妙な音程コントロールや協和・不協和に心情を託すことが命の楽器であるだけに、音程の狂いはとても痛い! 昨日もストーブの熱さで前半の終わり頃は狂いが目立ち、尚子先生もさぞ辛かっただろうなぁ、とお察しします。
コンサートの〆はバッハのイギリス組曲6番。大曲です。
プリンセスは先生のバッハを聴くと、何故か心が落ち着きます。それは先生がいつも仰るバッハの父性愛によるものなのか? 尚子先生の演奏の圧倒的な迷いのなさから来るものなのか? コンサートに向けてスカルラッティにも多くの時間を割かれたとは思いますが、バッハの音楽には所謂ユニヴァーサルな”バッハ節”が随所に散りばめられていることもあり、これまでに先生が弾いて来られた膨大な数&時間の蓄積が生きるのでしょう。辰郎さんの楽器も、やはりバッハを弾いてもらうと得意気に鳴り響いています。
打ち上げ後半、お酒の足りない?辰郎さんはまともに写ってくれません : ) |
来年も楽しいコンサートを期待しています!(プリンセス帰国中に、是非!)