せっかく都にまで上って金曜の大ドジだけに終わってしまったなら、あまりに悲惨…。けれど、
あのテの失敗は子供の頃から繰り返して慣れっこなプリンセス。翌日はケロリと元気を取り戻し、午後から
カルヌゥントゥムのムア・ファン=デア・ニーポートを訪問。超充実の一日を過ごしました。
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左が新ワインメーカーのカティ・ロランド、右がドルリ。 |
前日剥けた足の皮もなんのその。「ブドウの収穫日を決めるために一緒に畑を歩いてもらうから、そういう靴を持ってきてね」と言われていたので、この日は朝からスニーカーと厚手のソックスで足を守り、ウィーンの街をブラブラ。
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個人ピアノ製作家のショールームがあるのもウィーンならでは。 |
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一区ど真ん中近くのカフェで飲むカプチーノ。
一口サイズのパイもついて€3.20。安! |
午後2時にシュヴーデンプラッツでドルリの赤い車にピックアップされてワイナリーへ。
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右隣はゲアハルト・マルコヴィッチ、奥の納屋がドルリのワイナリー。好対照:) |
さて、彼女とそのワインを知らないヒトのために、少し背景を説明しておきましょう。
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秘密その1:樹齢の高いブラウフレンキッシュは左手の緑色のプラスティック桶でフットストンピング。 |
プリンセスが最初に彼女のワインを飲んだのは、おそらくVieVinumで初めて行われたブラウフレンキッシュ・テイスティングでのこと。2008年でしょうか? 世間ではまだまだ新樽とタンニンバリバリの赤の人気が高かった頃ですが、既にプリンセスはその2年前にMoricモリッツのエレガントなブラウフレンキッシュを日本市場に紹介し, その流れの中でUwe Schieferウヴェ・シーファー, そしてWenzelヴェンツェルのレベルの高さを認識した催しでした。2009年の春にパーカー(といっても採点者はDavid Schildknechtですが)がMoricのBF Neckenmarkt Alterebenに95点をつけて、世界がエレガント・ブラウフレンキッシュの流れを意識する少し前のことになります。
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ドアに貼られるのは断熱用発砲スチロ-ル |
実はこのテイスティング会を
PR会社”ワイン&パートナーズ”社長として仕切っていたのがドルリ・ムアことムア=ファン・デア・ニーポートのオーナーだったのです。そしてテイスティング会場の入口すぐ左側に、ヒッソリと彼女の造るワインのブースもありました。当時プリンセスも
カルヌゥントゥムと言えばツヴァイゲルトとそのキュヴェ、というイメージがあり、
なんの期待もせずに彼女のワインを口にしてビックリ!
とにかく
ブラウフレンキッシュとしては意表を突くほどタンニンが軽く、テクスチャーが滑らか! むしろ
ピノ・ノワールを思わせる優しいクチ当たりです。ふたクチ目は風味をじっくり味わうと、
ピノの赤いベリー系ともブルゲンラント産ブラウフレンキッシュの黒々ネットリのベリー系とも、また一味違う梅シソを思わせる独特のクールなニュアンスがあります(これが
カルヌゥントゥム東端シュピッツァーベアクの個性であることに気付いたのは、その1年後、拙著の取材でハネス・トラプルなどを訪ねてからのこと)。そしてヴォリュームが細身の割に
ピュアな余韻にとても伸びと力があります(
石灰土壌であることは、味わってすぐに想像がつきました)。
「これって一級品じゃない?!」
…プリンセス興奮しました。ガイド本やらワイン業界人の間で既に定評のあるワインでなく、
こういう予期せぬ出会いがあるからこそ、プリンセスはアラフィフにもなってフラフラ風来坊のような生活をしているのかも知れません。
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秘密その2: ドルリの好みを表すクール・ワインの数々。
ご覧のように壁にも発砲スチロールがグルリ。 |
実はこの当時まで、ドルリはポートの名門
ニーポートの御曹司、ディルク・ニーポート夫人でした。ああ、そうそう、思い起せばお城ワイナリーのミッヒが2006年にファルスタッフのワインメーカー・オヴ・ザ・イヤーを受賞した際、ワイナリーで行われた受賞パーティが、ドルリとプリンセスの最初の出会い。後から聞いたところでは、そのディルクとの結婚式をお城ワイナリーで行った縁だったそうです。
その後私が拙著取材のため最初に彼女をワイナリーに訪ねた2009年初頭には、既に彼女はディルクとは別れており、その経緯を説明しながら車中で涙をこぼすというハプニングまであって、プリンセスにとっては、
数少ない出会いで心の奥深くにしっかと存在感を残す不思議なヒトとなっていました。
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秘密その3: BFは木製開放桶で発酵。 |
このシュピッツァーベアクで彼女がディルクの指導下、オーストリア国内ではカルヌゥントゥムいちと評価されるゲアハルト・マルコヴィッチのワイナリーに間借りをして、最初にワインを造ったのは2002年。当時ヴァインフィアテルのグラーフ・ハーデックの醸造長、現在ヴァッハウで自分のワイナリーをオーガニックで営むペーター・ファイダー
=マールベアクとのコラボでプロジェクトをスタートさせています。2002年の生産本数は500本のみ。2003年にペーターはプロジェクトから手を引き、2004年以降はクリティカルなステップはディルクの監督、実作業はドルリ自身が行っていました。パーカーが93点をつけたシュピッツァーベアク06は、醸造の知識も経験もないドルリが、ほぼ一人でワインを作っていたこの頃のもの。その後カルヌゥントゥムのホープ、ハネス・トラプルが作業を手伝ったりした時期もあり、07年からマルコヴィッチの隣の納屋を自分のワイナリーとして所有。08年以降は南ア出身のクレイグ・ホーキンスが収穫期専任ワインメーカーとして彼女を支えて来ました。現在の生産キャパは6haの持ち畑と6haの借地畑から最大年間生産量2万本の規模まで成長しています。
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秘密その4: 理想的セコハンの小樽が調達できない場合のみ、フランソワ・フレールから新樽を購入。 |
そんな紆余曲折下ではありますが、
ワインは一貫してタンニンの抽出が頼りないくらい軽い、新樽風味がほとんどなく、抜栓直後はやや還元的香りがあるけれど、空気に十分触れるとクールな果実味と長く芯のある余韻が素晴らしい、というスタイルを貫いていました。
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秘密その5: 手動垂直バスケット・プレス。
プレスはこれしかありません。 |
そしてこの春からドルリが専任ワインメーカーとして迎えたのは、あの毀誉褒貶色々聞くところの
オーストリア、ビオディナ=ロジックのグル、アンドリュー・ロランド氏夫人の、カティ・ロランドというではありませんか!!
プリンセス、何かが起こりそうな予感がします。
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秘密その6: 未来の秘密はカティの運んでいるモノにあります。 |
当然
畑では無農薬散布区画を設けたりの実験が始まっていますが、カティの待つ正真正銘
納屋ワイナリーで、プリンセスを待っていたものは…?
…to be continued