2011年11月12日土曜日

ブドウを食べて、畑がわかりますか?

遂に今週の木曜でお城ワイナリーの辛口ワインの収穫は全て終了。貴腐ブドウを木曜と金曜に収穫し、アイスヴァイン(これはできるかどうか神のみぞ知る)を除いて全ての収穫が終わりました。
プリンセスも白ワインについては、お城ワイナリーの所有する畑全て――並級からフラッグシップまで――の収穫を体験しました。

それでふと気がついたのですが(もちろん同時に食べている訳ではありませんが)、収穫したブドウの味を畑別に、もしブラインドで一度に比較したとしたら、畑の格が並かエアステラーゲかは楽に区別がつく、と思うんですね。糖と酸の量とバランス、味わいのブライトさには明らかに差があるからです。
でも例えばリースリングのハイリゲンシュタインとガイスベアク、そしてグリューナーのラムとレンナーとグループを出されて、ブドウを味わっただけでどの畑かわかるか、と言われると…全く自信がありません。
これがワインであれば、単体で出されてどの畑かを言い当てることは難しくても、全種一度に比較できれば、かなりの確率で畑が言い当てられるのではないか、と思うのです。

何故でしょう?

畑の違い」は突き詰めると、「土の違い」です。「土」はワインになるとミネラルとして感じられます
ところが、このミネラル感って、ブドウから感じるのはほぼ不可能。ワインになって初めて出現するような気がするのです。

これって面白いことですよね。
どうやらブドウは、酵母の力を借りて「発酵」という過程を経、初めて「土の要素」を顕にするようなのです。
ブドウとしての命が絶えようというときに、酵母という他者の介在を得て、ワインは初めて自己の背景・生育履歴・素性といったもの、つまりいつも私が言っている「自分らしさ」を表現できるようになるのです

もしかすると人間も、「私が、私が」と自分のことしか考えられないうちは、あるいは自分の成長に一生懸命な時期には、意外に深いところで自分自身たり得ず、社会で揉まれ、職業で鍛えられ、挫折し、失恋し、ある種の諦めも混ざり合って、自分への執着から距離を置くようになって、他者との関わりの中に自分自身を委ねることができたとき、初めて真の意味での「そのヒトらしさ」を手に入れるのかも知れません

そう考えると、アラフィフ仲間のあなた、これからかも知れませんよ?!