2012年10月27日土曜日

ローラント・フェリヒ“モリッツ”――クオリティーの秘密に迫る その5 ネッケンマークトの土壌と古木畑

ローラント・フェリヒの自宅でのテイスティング中、外は変わらず大雨。しかも、前回の訪問時は、なんと大雪で畑が見られなかったのでした(泣)…

遥々遠出をして、あんまりな悪天候に2度も祟られたプリンセスを可愛そうに思ったのか、昼食前にローラントは「午後に自分もセラーに行かなくちゃならないから、一緒に連れて行くよ」と約束してくれました。ありがとう、ローラント! セラーを見せる、と言ってくれたのは初めて

食事の後、ローラントとハネスがテラスで話込んでいる間、ダグマーと私はシューベルト談義。彼女がブレンデルのコンサートを聴いて感激した、という即興曲の4番の楽譜を前に二人でピアノで遊んでいると…ローラントがピアノに寄って来て、私に「何か一曲弾いてくれないかい?」と所望。
はて、楽譜無しで通しで弾ける曲も限られているし…と天を仰ぐと…気が付けばドシャ降りだった雨脚が、随分弱まっているではありませんか!

プリンセスの下手糞なピアノどころではありません。今すぐ畑に連れてって!! と、プリンセス反射的に叫んでしまいました : )

本当だ。じゃあすぐに支度をして、セラーに行く前に畑をざっと巡るとしよう。 と、ローラント。
…ということで、プリンセスって本当にラッキー。セラーのみならず、これなら畑も見られそうです。

グロースヘーフラインからネッケンマークトまでは、ハンガリーのショプロンという町を突っ切って、直線距離で30km弱、といったところでしょうか。ドライブしながらローラントは、この辺りはドイツ語を話す集落が多かったため、社会主義政権下に彼らのほとんどがドイツなど国外に逃れ、ブドウ栽培だけではなく生活風俗全般が、ほぼ根こそぎに途絶えてしまった経緯を語ってくれました。確かに、町中では時間が止まったような、そして町を出るとかなり荒廃した印象を受けました。

ネッケンマークトに入ると、まず雨脚の弱いうちに、1950年代半ばに植えられたという、プリンセスより年上の、正真正銘アルテ・レーベンの畑のてっぺんで車を降ろしてもらいます。
これがアラフィフ+樹齢のブラウフレンキッシュ :)
畑の石を拾ってみれば、所謂雲母がキラキラ光るミカシストで、沢山の鉄のシミのようなものがついています。そうした石が風化した土は、雨の中でも決して重くならず、サラサラしています。
石英の混ざったシスト
ミカシスト。キラキラ光っているのがわかりますね。右下に鉄の斑点も見えます。
左手にドイチュクロイツ、右手にネッケンマークトの町がそれほど大きな距離差なしに望める、ということは、ネッケンマークトのかなり東側に居ることがわかります。
ただ、この辺りの畑名は、正直プリンセスもあまりよく知りませんし、全くと言っていいほど頭に位置関係も入っていません。けれど、感覚としては、ブルゴーニュ的緩斜面が、よりピエモンテ的に東西南北あらゆるアングルに広がっている、とでも表現しましょうか。
かつては畝と畝の間にもう一列植えられていましたが、
トラクター作業のため、引き抜かれています。よくある光景…。
そんな緩斜面の下を走る道を通りながら、ローラントが説明してくれます。

「わかるかい? 道路に近い斜面の一番下の平坦な部分は葉がまだ緑色だろう? 土が肥沃なんだ。その部分は全てBurgenlandの果実になる。他に、植え替えた樹齢の若いブドウもね。で、斜面になった部分の古木がReserve上の方の、葉が黄色に色づいている辺りの古木がAlte Rebenになるんだ。」
な、なんと…。プリンセスの見るところ、斜面下部から一番上まで、せいぜい直線距離で150mくらい。高度差にして15メートルないでしょう。
これだけの距離の斜面を3クラスに分けていたとは…
つまり、言ってみれば、ローラントは始めからグランクリュの区画しか入手していないのです。で、その古木の植えられたひとつのグランクリュの畑を、更に、Burgenland, Reserve, Alte Rebenへと3分している訳です。それもClos de Vougeotのようなバカデカい畑を指しているのではありません。写真でわかるでしょう? 例えば、そうですね、Le Chambertinを三分しているような感覚です。

ああ、これだから、昼食に出されたあの03 Burgenlandのポテンシャルの高さも当たり前だな、とプリンセスは思いました。まして、あの頃はReserveラインがありませんから、斜面のかなりの部分まで、Burgenlandのブドウになっていた筈なのです。

そして、ローラント曰くネッケンマークトの土壌がよくわかる露頭を通り抜けます。
ミッテルブルゲンラントと言えば、ホリチョンの重めの粘土質ロームを思い浮かべるのですが、ローラントがネッケンマークトの土壌として最初に挙げるのは原成岩。とは言うものの、ドナウ近辺の原成岩はボヘミア山塊のものですが、こちらはアルプス山脈の東端。
原成岩の風化した様子がよくわかります。
その露頭を観察する限り、ドナウ周辺の土より、ずっと風化されて細かい砂状になったモノが堆積している部分が多く、その砂状部分は見るからに石灰を多く含み、それも白い貝殻石灰ではなく、かなり鉄分の多い赤茶色っぽい石灰です。
こちらはもう少し岩そのものがよく見えますね。
ローラントが見せてくれた別の露頭は、車を降りた畑よりかなり石灰の多い土…これは更に鉄分の多そうな…でもこれも重い土には見えません。
ここは鉄分の多い石灰を含む砂、に見えます。
帰りがけ、ワイナリーから最寄駅に向かう途中、重い土壌の多いホリチョンとネッケンマークトとの近さに改めて驚きましたが、どうやらドイチュクロイツとホリチョンを結ぶ道の南北と、ネッケンマークトとホリチョンを貫く道路の東西で、土の重さや土壌構成に、かなりの違いがあるようなのです。それが連続的な変化なのか、どこかに重い土と軽い土を分ける一線が存在するのか、その辺りをクリアにするためには、もう少し下調べをした上で、再び現地を訪ねる必要がありそうです。

けれど、こうして畑をざざっとでも本人の説明を受けながら駆け抜けてみるだけでもローラントの畑選びの基準と、ネッケンマークト アルテ・レーベンの、あの威厳の意味が、明瞭にプリンセスの頭に描かれ、クッキリと舌に刻み込まれま
また、アルテ・レーベンの前に出されたライディングの味わいが、ネッケンマークト アルテ・レーベンとかなり異なっていた理由も、しっかりと腑に落ちることとなったのです。

そして車は緩やかな坂道を下り、ネッケンマークトの町中を流れる小川、ゴルトバッハ沿いの、クール&スタイリッシュな現代建築とも、お城や修道院の気品や格調とも、古い農家の鄙びた素朴な暖かさとも無縁な、あまりに素っ気ない町工場の作業場のようなモルタル掘立小屋風情の建物の前に止まります。
to be continued.